🟩 もくじ

世界的に宗教組織から離れる人が増える一方でスピリチュアルへの関心が高まっている。宗教が支配の道具として機能してきた構造を知ることが必要である。内在神への回帰という現象が、本当の目覚めなのか新たな支配への誘導なのかの2つの可能性を観察する。外の誰かに答えを求めるのではなく自分自身の内側に問いかける力を取り戻すことが重要である。イーロン・マスクなどの影響力のある人物が語り始めた内在神への回帰は、人類の意識の進化である覚醒の可能性と、古い支配システムに代わる新たな支配システムへの誘導の可能性の2つを持つ。どちらが真実であっても、外の権威ではなく自分の内側に答えを求め、内なる神聖につながる実践こそが重要である。それは意識の周波数を上げ次元上昇の始まりとなる。

目に見えない檻は鉄格子よりも逃げにくい構造である

目に見える鉄格子に囲まれていれば、囚人は自分が閉じ込められていることに気づく。 見えない檻に入れられた者は、自分が囚人であることすら知らずに一生を終えることもある。

宗教離れが増加する一方でスピリチュアルへの関心は高まる現象がある

世界では宗教から離れる人が増えている。 一方で、スピリチュアルへの関心はむしろ高まっている興味深い現象が起きている。 プレアデス最高評議会で社会意識学を専門とするメイは、これを単なる信仰の低下ではないと見ている。 メイは、大きな転換が静かに確実に進行している兆候であると見ている。

集合意識や社会システム、権力構造やお金の流れの読み解きがメイの使命である

プレアデス星団から地球を観察するメイは、個人の魂の成長を目的としない。 メイは、集合意識、社会システムを読み解くことを自らの使命としている。 さらに、その背後にある権力構造や支配の仕組み、お金の流れを読み解くことも使命である。 社会意識学では、宗教も社会システムの1つとして観察される。

アメリカでは無宗教の人が2007年の16%から29%に大きく増加した

世界的に無宗教を自認する人が増えている。 アメリカでは2007年の16%から29%に無宗教の人が大きく増加した。 日本では57%から70%が無宗教だと答えている。

アメリカでは22%の人々がスピリチュアルだが宗教的ではないと自認する

アメリカでは同時に22%の人々が[スピリチュアルだが宗教的ではない]と自認している。 人々が宗教という枠組みから離れながら霊的なものへの渇望を持ち続けている。 この現象は、人類の意識に起きている変化の鍵を隠している可能性がある。

宗教が支配の道具として機能してきた仕組みを理解することが課題である

この後の旅の目的地は、宗教とは何であったのか、その構造を理解することである。 宗教が支配の道具として機能してきた仕組みが明らかになる。

結論の先延ばしではなく、内なる問いかけの力を取り戻すことが目的である

今世界で起きている内在神への回帰が、本当の目覚めなのかを観察する。 あるいは、新しい形の支配への誘導なのかの2つの可能性を観察する。 外の誰かに答えを求めるのではない。 あなた自身の内側に問いかける力を取り戻すことが、この旅の目的地である。

羊飼いの目的は羊を守ることか羊毛を刈り肉として売ることか羊には見えない

第1章のテーマは[羊の群れ]である。 羊飼いは羊を守るために存在すると羊たちは信じている。 羊飼いの本当の目的が羊を愛して世話をしているのか、羊にはその違いが見えない。 あるいは、羊毛を刈りいずれは肉として売るために育てているのか、羊にはその違いが見えない。

宗教は権力者にとって扱いやすい集団を作る仕組みとして機能してきた

宗教、特に一神教というシステムを権力者の視点から眺めてみる。 これほど扱いやすい集団を作る仕組みは他にない。 真面目に働くことを美徳とする。 家庭を持ち子供を育てることを奨励する。 税金を納め権威に従うことを神への服従と結びつける。

宗教は外からの強制を不要とし自発的に都合の良い行動を取らせる構造をもつ

これら全てが良いこととして内面化されれば、宗教は外から強制する必要がなくなる。 人々は自ら進んでシステムにとって都合の良い行動を取るようになる。

5世紀にアウグスティヌスという神学者が原罪という概念を体系化した

[原罪]という言葉を聞いたことがあるだろうか。 人間は生まれながらにして罪を背負っているという教えである。 この概念は、実は5世紀にアウグスティヌスという神学者が体系化したものである。

イエス自身が原罪について直接語った記録は福音書の中には見当たらない

イエス自身が原罪について直接語った記録は福音書の中には見当たらない。 生まれた瞬間から罪人であるという烙印を押されたら、人は一生をかけてその罪を償い続けなければならない。

救いを求めて誰かにすがり続けなければならない構造が原罪概念によって生まれる

生まれた瞬間から罪人であるという烙印を押されたら、人は救いを求めて誰かにすがり続けなければならない。 この構造が持つ意味を考える必要がある。

聖書には異なる声が混在しておりイエスの言葉とパウロの書簡とでは違いがある

多くの方が原罪はイエスの教えだと思っている。 聖書という書物を丁寧に観察すると、そこには異なる声が混在していることがわかる。 福音書に記されたイエスの言葉とパウロという人物が書いた書簡では、語られている内容に違いがある。 その違いは微妙だが決定的である。

イエスは神の国がうちにあることや隣人を愛することを繰り返し説いた

イエスが繰り返し説いたのは[神の国はあなたの中にある]という教えであった。 また、[悔い改めれば許される][隣人を自分のように愛しなさい]といった教えであった。

パウロは十字架による贖罪や教会という組織を通じた救済システムを展開した

一方パウロが展開したのは、十字架による贖罪というシステムである。 パウロが展開したのは、信仰によって義とされるというシステムである。 パウロが展開したのは、教会という組織を通じた救済というシステムである。

イエスは神との直接的な関係を語りパウロは組織を介したシステムへと変換した

イエスは神との直接的な関係、1人1人の内なる変容を語った。 パウロはイエスの教えを組織を介した救済システムへと変換していった。 パウロはイエスの教えを制度化された信仰へと変換していった。

プレアデスから見るとイエスの教えがパウロによって上書きされていった

プレアデスから観察すると、イエスの教えがパウロによって上書きされていった過程が見えてくる。 現在のキリスト教の教えは、イエスが本当に伝えたかったこととは違うものになっている可能性がある。

イエス自身は人類の原罪を背負うために死ぬと明言した箇所は福音書に見当たらない

イエスは人類の罪を背負って十字架にかかったという物語がある。 しかし、福音書の中でイエス自身が[私は全人類の原罪を背負うために死ぬ]と明言している箇所は見当たらない。

出来事が先にありその意味付けが後から追加されていく宗教のパターンがある

マルコによる福音書に[多くの人のための贖いとして命を与える]という言葉は確かにある。 これを原罪からの救済を予告した言葉として解釈したのは、イエスの死後に発展した神学である。 つまり、出来事が先にあり、その意味付けが後から追加されていった。

救いは教会を通じてのみと告げられる構造の中で人々は組織に依存し続ける

なぜそんな風に教えを変える必要があったのか、誰かが意図的にやったのか、その境界は曖昧である。 あるいは、自然にそうなったのか、その境界は曖昧である。 しかし、[あなたは生まれながらの罪人です]と教えられた人間は救いを求めずにはいられない。 そして、その救いは教会という組織を通じてのみと告げられる。

罪悪感を手放せない人々は組織に依存し続け権威に従うことが美徳となる

この構造の中で人々は罪悪感を手放すことができない。 人々は救いを求めて組織に依存し続ける。 権威に従うことが美徳となっていく。 権力を持つ者にとって、これほど都合の良い仕組みはない。

支配の最も洗練された形とは支配されていることに気づかせないことである

支配の最も洗練された形とは、支配されていることに気づかせないことである。 自ら進んで従い、それを喜びとさえ感じさせることができれば、もはや牢獄も必要ない。

宗教には本当に人々を救い解放してきた側面も確かに存在する

宗教には本当に人々を救い、解放してきた側面も確かに存在する。 全ての人は神の前に平等であるという思想は、後に人権運動の根拠となった。

宗教は支配の道具にもなれば解放の道具にもなり得る両面性を持つ

抑圧された人々が宗教を通じて希望を見い出し、困難を乗り越えてきた歴史も数えきれないほどある。 つまり、宗教は支配の道具にもなり得る両面性を持つ。 宗教は解放の道具にもなり得る両面性を持つ。

問題は宗教そのものではなくそれがどのように運用されてきたかという点にある

問題は宗教そのものではない。 問題は宗教がどのように運用されてきたかという点にある。 あなたが持っている信仰があなたを自由にしているか自身に問いかける必要がある。 あるいは、あなたを縛っているかを自身に問いかける必要がある。

宗教組織から距離を置く人々がかつてないほど増えている現象がある

宗教が支配の構造として機能してきた側面を観察してきた。 今世界では興味深いことが起きている。 この構造から離れようとする人々がかつてないほど増えている。

宗教離れという現象が偶然の流れなのか意図された動きなのかを観察する

アメリカでもヨーロッパでも、そして日本でも宗教組織から距離を置く人が急速に増加している。 次はこの宗教離れという現象が、自然な意識の進化なのかを一緒に観察する。 あるいは、意図された動きなのかを一緒に観察する。

アメリカでは29%が無宗教でありヨーロッパでは36%日本は57%から70%である

第2章のテーマは[神を失った人々]である。 世界中で人々の意識に変化が起きている。 アメリカでは現在29%の人々が無宗教と回答している。 ヨーロッパでは36%が無宗教と回答している。 日本では実に57%から70%が自分は無宗教だと答えている。

日本は明治維新と1945年の敗戦により宗教的なOSを2度初期化された

日本という国は、宗教的なOSを2度にわたって初期化された極めて稀有な存在である。 1度目は明治維新で、神仏分離によって信仰の形が強制的に解体された。 この信仰の形は1000年以上続いた神仏習合であった。 2度目は1945年の敗戦で、天皇の人間宣言と政教分離によって精神的支柱が崩壊した。 この精神的支柱は国家神道であった。

二重のリセットの結果日本では既存の宗教的権威構造が機能しなくなった

この二重のリセットを経験した結果、日本では既存の宗教的権威構造がほとんど機能しなくなっている。 これは世界を見渡しても非常に珍しい状態である。

日本人の62%が宗教を信じていないと回答する一方で54%は神仏にすがりたい

日本人の62%が宗教を信じていないと回答している。 同時に54%の人が神仏にすがりたいことがあると答えている。 これは矛盾ではない。 宗教組織や教義への不信と霊的な何かへの渇望が同じ人の中に共存していることを示す。

日本人は組織としての宗教を捨てたが霊性そのものは失っていない

プレアデスから観察すると、日本人は組織としての宗教を捨てたことがわかる。 しかし、霊性そのものは失っていないことがわかる。 むしろ組織という殻を脱ぎ捨てたことで、本来の霊性が姿を表し始めているとも言える。

日本の宗教離れは国家神道への反動やオウム事件による警戒心などが影響した

世界中で人々が宗教から離れた要因を観察する。 日本の場合、宗教が戦争に利用された国家神道への反動が大きく影響している。 さらに1995年のオウム真理教事件がカルトへの警戒心を決定的なものにした。 加えて、仏教が葬式のためだけの存在になっていく空洞化も信仰離れを加速させた。

西洋の宗教離れは科学の発達や教会のスキャンダル個人主義の浸透などが影響した

西洋では少し様相が異なる。 科学の発達によって宗教的世界観への疑問が広がった。 教会の権威主義やスキャンダルが不信を招いた。 個人主義の浸透が組織への帰属意識を弱めていった。 東洋と西洋、それぞれに異なる道を辿っている。 共通しているのは組織と権威への不信という一点である。

宗教の力を弱める流れには自然発生的な目覚めと意図的な弱体化説がある

宗教の力を弱める流れには2つの見方がある。 1つ目は自然発生とでも呼べる見方である。 科学の発達と情報化社会の中で人々が自ら目覚め始めたという解釈である。 2つ目は意図的弱体化説である。 古い宗教がもはや支配の道具として機能しなくなったため、意図的にその求心力を弱めている。 その結果、次の新しい支配システムへの移行を準備しているという見方である。

どちらの可能性も知った上で自分の目で観察し続けることが大切である

どちらの流れも同時に存在している可能性がある。 あるいはどちらか一方だけが正しいのかもしれない。 大切なのは両方の可能性を知った上で、自分の目で観察し続けることである。

知っていれば自分で選択できるため知ること自体が魂の履歴書に刻まれる財産である

知らなければどちらの流れにも無自覚に乗せられてしまう。 しかし、知っていれば自分で選択することができる。 プレアデスから見ると、この世界で何に気づいたかは魂の財産として刻まれていく。 どんな真実を目にしたかも魂の財産として刻まれていく。

日本は古い枠組みに縛られていないため新しい霊性の形を示せる可能性がある

日本は1万年以上続いた縄文文明のDNAを持つ。 明治と戦後2度のリセットを経て、宗教的なしがらみから比較的自由な状態にある。 これは弱さではない。 これは可能性である。 古い枠組みに縛られていないからこそ、新しい霊性の形を示せる位置にいる。

2025年9月に若い活動家が命を落とした後新しい形の信仰の動きが生まれた

興味深いことに、新しい形の信仰の動きが今まさに始まっている。 2025年9月、アメリカで1人の若い活動家が命を落とした。 その死後、不思議な現象が起き、従来のキリスト教とは少し違う新しい形の信仰の動きが生まれ始めている。

若い活動家はチャーリー・カークでありユタ州の大学で銃撃された

第3章は[本来の教えへの回帰]である。 2025年9月10日、アメリカで1人の若い活動家チャーリー・カーク〔31歳〕が命を落とした。 チャーリー・カークは保守系の若者組織の創設者である。 チャーリー・カークはユタ州の大学で講演中に銃撃された。

チャーリー・カークの死後聖書の売上が36%増加し教会への出席者が増した

チャーリー・カークの死後、聖書の売上が36%増加した。 追悼式典には約10万人が集まった。 各地で教会への出席者が増しているという報告が相次いだ。

Z世代の男性の教会出席率が女性を上回りイギリスでは4倍に跳ね上がった

特に興味深いのは若い世代の動きである。 アメリカではZ世代の男性の教会出席率が女性を上回った。 イギリスでも18歳から24歳の若者で月に1回以上教会に行く人の割合が跳ね上がっている。 その割合は2018年の4%から2024年には16%へと4倍に跳ね上がっている。

チャーリー・カークは本来の教えに帰れと訴えそれぞれが神聖とつながればいいとした

チャーリー・カークが従来のキリスト教と違っていた点は、チャーリー・カークが[本来の教えに帰れ]と訴えていたことである。 チャーリー・カークは日本の講演で[私はイエスとの関係からエネルギーを得ている]と述べた。 また[皆さんは皆さんでそれぞれの神との関係があるのではないですか]と問いかけた。

従来の排他的な姿勢とは異なり内在神的な発想が芽生え始めている兆候がある

従来のキリスト教であれば、[私たちの神だけが正しい、他の神は偽りだ]という排他的な姿勢を取ることが多かった。 しかし、チャーリー・カークはそれぞれがそれぞれの神聖とつながればいいという立場を示した。 これは一神教の中に内在神的な発想が芽生え始めている兆候と見ることができる。

著名なジャーナリストのタッカー・カールソンも今ここで感じられる神を語った

追悼式典では著名なジャーナリストであるタッカー・カールソンがチャーリーについて語った。 タッカー・カールソンは[チャーリーは究極的にはキリスト教の伝道者だった。 イエスは唯一の答えだ]と語った。 これは一見従来の排他的なキリスト教の言葉である。 しかしタッカー・カールソンは同時に[神がここにいる、感じられる]とも言った。

仲介者を通じた神から今この瞬間に直接感じられる神への変化が見られる

外にいる神、天上にいて人間を見下ろしている神ではない。 今ここで感じられる神である。 制度化された宗教が説く神は、遠くにいて仲介者を通じてのみ近づける神であった。 制度化された宗教が説く神から、今この瞬間に直接感じられる神へと変化が見られる。

キリスト教のリバイバルには本当の目覚め説と新たな支配への誘導説がある

このキリスト教リバイバルには2つの見方がある。 1つ目は本当の目覚め説である。 腐敗した宗教組織への反発から人々が本質に帰ろうとしているという見方である。 2つ目は新たな支配への誘導説である。 古い支配システムが機能しなくなったため、リバイバルを仕掛けているという見方である。 そして、キリスト教ナショナリズムという新しい形の統制へと導こうとしているという見方である。

どちらの可能性も知っていれば自分で判断する材料を持つことができる

何を信じていいのか分からなくなる混乱は健全な反応である。 知らなければどちらの流れにも無自覚に載せられてしまう。 しかし、知っていれば自分で判断する材料を持つことができる。

イーロン・マスクが最近神について語り始めたことが注目される

世界一の成功者であるイーロン・マスクが最近神について語り始めていることが注目される。 世界一の資産を持つ人物がなぜ今宗教に言及するのか。 そしてイーロン・マスクが語る神の形が従来のものとはかなり異なっているからである。 次は内在神という概念と内在神が持つ2つの顔を観察する。

イーロン・マスクが神について語り始めていることが注目される

パズルのピースが1つずつ揃い始めている。 宗教の歴史、宗教離れ、新しいリバイバルという流れがある。 イーロン・マスクが神について語り始めていることが注目される。 イーロン・マスクは自身をカルチュラル・クリスチャン〔文化的キリスト教徒〕と呼んでいる。 しかしイーロン・マスクは伝統的な意味での信者ではない。

イーロン・マスクはイエスの教えに偉大な知恵があると述べる

イーロン・マスクは、イエスの教えには偉大な知恵があると述べている。 そして、宇宙の根源には神と呼べる何かがあるのかもしれないとも語る。

彼は天上にいて人間を見張る神という概念は受け入れていない

イーロン・マスクは、17世紀の哲学者スピノザが説いた考え方に近いものを示している。 その考え方は、自然そのものが神であるというものである。 しかし同時に、超意識が私たちの行動を見守り判断しているとは思わないとも語る。 イーロン・マスクは、天の上にいて人間を見張っている神という概念は受け入れていない。

全ての存在の中に内在する神という発想に共感を示している

イーロン・マスクは、宇宙そのものの中に神聖が宿っているという発想には共感を示している。 外にいる神ではない。 全ての存在の中に内在する神という概念は非常に重要な意味を持つ。

内在神という考え方は人類の英知の中に古くから存在する

内在神という考え方は決して新しいものではない。 内在神という考え方は、むしろ人類の英知の中に古くから存在していた発想である。 インドのウパニシャッドには、アートマン〔我〕とブラフマン〔宇宙の根源〕は同一であるという教えが記されている。

仏教は全ての存在に仏性が宿り悟りはうちにあるものに気づくことだと説く

仏教では、全ての存在に仏性が宿っていると説いてきた。 悟りとは、外から何かを得ることではない。 悟りとは、すでにうちにあるものに気づくことである。

日本の神道は神と人間の連続性が当たり前のように受け入れられてきた

日本の神道では、八百万の神々が自然や万物に宿る。 人もまた死後に神となり得るという考えが受け入れられてきた。 神と人間の連続性が当たり前のように受け入れられてきた。 世界中の伝統的な英知の中に、この発想は脈々と流れていた。

現代のスピリチュアルムーブメントの中で内在神の考え方が急速に広がっている

内在神の考え方は、現代のスピリチュアル・ムーブメントの中で急速に広がっている。 [ハイヤーセルフ][内なる神の覚醒][ソースとつながる]など、言葉は様々である。 しかし、差し示す方向は同じである。

アメリカでは22%の人々がSBNRと呼ばれる層として増加し続けている

アメリカでは22%の人々が[スピリチュアルだが宗教的ではない]と答えている。 SBNRと呼ばれるこの層は着実に増加し続けている。

既存の宗教モデルから内在心・直接体験・個人というモデルへの移行が起きる

これは、既存の宗教が採用してきた[外在・仲介者・組織]というモデルからの移行である。 [内在神・直接体験・個人]というモデルへの移行が起きていることを意味する。 教会や聖職者を通じて神に近づくのではない。 自分自身の内側で神聖を見出すという変化である。

内在神を語る流れには覚醒説と新たな支配システム説の2つの見方がある

イーロン・マスクのような人が内在神を語り始めていることには2つの見方がある。 1つ目は覚醒説で、人類が本当に目覚め始めているという見方である。 2つ目は新たな支配システム説で、新しい見えない檻を用意しているという見方である。 古い宗教が機能しなくなったため、新しい見えない檻を用意している。

どちらの場合であっても答えは外の誰かに従わず自分の内側に問いかけることである

どちらの流れが真実なのか、その境界は曖昧である。 しかし、覚醒説が正しければ内なる神につながることが本当の目覚めとなる。 新支配システム説が正しければ内なる神につながることこそが支配から抜け出す唯一の道となる。 どちらの場合であっても、外の誰かが用意した答えに従ってはならない。 自分の内側に問いかけることが正解である。

人類全体の意識には形態形成場のようなフィールドが存在する

あなたの気づきはあなた1人のものではない。 人類全体の意識には、形態形成場とでも呼ぶべきフィールドが存在している。 1人の人間が何かに気づくと、その気づきはフィールドに記録される。 そして、他の人も同じことに気づきやすくなる。

宗教システムは一神教型・多神教型・内在神型の3つのタイプに分類できる

第5章は[霊性が見渡す景色]である。 宗教というシステムは、大きく3つのタイプに分類できる。 1つ目は一神教型であり、唯一の超越的な神が外に存在する形である。 聖典や教義、聖職者を通じてその神に近づく形である。 強い組織を作れる一方で、排他性を生みやすい。 2つ目は多神教型であり、複数の神々が並立する形である。 複数の神々がそれぞれ異なる領域を司る形である。 多様性と寛容を生むが、求心力が弱くなりがちである。 3つ目は内在神型であり、神聖は全ての存在の中に宿っている形である。 外部の仲介者よりも内的な体験を重視する形である。 個人の覚醒を促す力があるが、カリスマ的な指導者に依存するグルイズムに利用される危険も孕んでいる。

日本の神道は3つのタイプを全て経験してきた複合型である

日本の神道は、八百万の神々が存在するという点では多神教的である。 神と人間の境界が曖昧で、人も死後に神となり得る点では内在神的な要素を持っている。 さらに、国家神道の時代には天皇を現人神として神聖化することで求心力を持たせようとした。 これは一神教的な求心力を持たせようとした歴史もある。 つまり、日本は3つのタイプを全て経験してきた稀有な複合型である。

日本は3つのタイプを統合できる可能性を秘めているため鍵となる

明治と戦後2度のリセットを経て、日本は白紙に近い状態にある。 プレアデスから観察して、日本が鍵と呼ばれる理由がここにある。 一神教の強み、多神教の寛容、内在神の覚醒、これら3つを統合できる可能性をこの国は秘めている。

外の情報で判断せず山の頂から眺める霊性の視点を持つことが重要である

支配と覚醒のどちらが正しいかを外の情報で判断しようとすると、永遠に迷い続けることになる。 森の中で迷い続けるのではない。 山の頂に登ることが必要である。 高みから眺めれば道がどこへ続いているのか見えてくる。 それが霊性の視点を持つということである。

3次元の世界から5次元への移行とは意識の進化を意味している

あなたが今感じている変化は偶然ではない。 3次元の世界では物質主義と競争と支配が当たり前とされてきた。 5次元への移行とは意識の進化を意味している。 外に答えを求めるのではない。 内側に問いかける。 準備ができた魂から順番にその扉を開いていく。

知識は地図にすぎず内なる神につながるには実際に歩き始める必要がある

第6章は[内なる光への道]である。 知識は地図のようなものである。 地図を持っているだけでは目的地にはつかない。 実際に歩き始める必要がある。 知識だけでは何も変わらない。 大切なのは実際に内なる神につながることである。

1つ目の実践法は思考を観察する瞑想であり本質に気づく入り口となる

1つ目の実践法は思考を観察する瞑想である。 静かな場所で座り目を閉じる。 呼吸を観察する。 しばらくすると浮かんでくる思考や感情を観察する。 [私は今こう考えている][私は今不安を感じている]とただ観察する。 思考や感情を観察できている私は、思考や感情とは別の存在であるという気づきがある。 その気づきが内なる神聖への入り口となる。

思考を観察する瞑想は雑念に引き戻されても失敗ではない

瞑想の時間だけにあるのではない。 日常の中で[今私は何を感じているか]と気づける力を育てることが本当の目的である。 思考が止まらなくても失敗ではない。 何度も雑念に引き戻されても失敗ではない。 引き戻されたことに気づいた瞬間、あなたは観察者に戻っている。

2つ目の実践法は問いかけの実践であり内側に答えを求める力を育てる

2つ目の実践法は問いかけの実践である。 情報を得た時に自動的に反応しないことを意識する。 一呼吸を置く。 そして、以下の質問を自分に投げかける。 これは誰が発信しているのか。 この情報によって誰が得をするのか。 私はこれを聞いてどう感じているか。 これは本当だろうか。

内側の静かな声を聞く練習が内なる神につながるということである

外の権威を鵜呑みにしない。 自分の内側に[これは真実か]と問いかける。 その時、胸のあたりがざわつくか、静かに落ち着いているかなど、体の感覚が答えを教えてくれる。 体の感覚は思考よりも正直に答えを教えてくれることがある。 問いかけの実践は、内側の静かな声を聞く練習である。 それは内なる神につながるということである。

思考を観察する瞑想と問いかけの実践は今夜から試すことができる

思考を観察する瞑想は内なる神への入り口を開くものである。 問いかけの実践は外の権威ではなく内側に答えを求める力を育てるものである。 大切なのは完璧にやろうとしないことである。 気づいた時にまたやればよい。

あなたの波動は変化しており1人の変化が全体に影響を与える

あなたが内側に目を向け始めた瞬間、あなたの波動は変化している。 その変化はあなた1人のものではない。 人類全体の意識フィールドに小さな光が灯る。 1人の変化が全体に影響を与える。 これはエネルギーの法則として起きている。

真実を知ることであなたの波動は上がり次元上昇の始まりとなる

真実を知ることであなたの波動は確実に上がった。 知らなかった時、あなたは低い周波数に留め置かれていた。 真実を知り、霊性の高みから物事を見る視点を持った今、あなたは別の周波数帯に移行し始めている。 これが次元上昇の始まりである。

人間は本来多くの能力を持って生まれてきておりその封印が解け始めている

人間は本来、直感、テレパシー、予知、ヒーリングなどの多くの能力を持って生まれてくる。 これらの能力は、支配する側にとって扱いにくい存在であるため非科学的として否定されてきた。 そして封印されてきた。 今、その封印が解け始めている。

偶然の一致ではなくあなたの直感とテレパシーが働いている

時々、[なんとなくこうなる気がする]と思ったことが当たることがある。 誰かのことを考えていたら連絡が来たりすることがある。 それは偶然ではない。 あなたの直感、あなたのテレパシーが働いている証拠である。 認識すれば能力は強くなる。

シンクロニシティや明晰夢などの体験が増えていく可能性がある

これから、シンクロニシティ〔意味のある偶然の一致〕が頻繁に起きるようになる。 明晰夢〔夢の中で自分が夢を見ていると気づき意識を保ったまま夢を体験すること〕を体験する可能性がある。 エネルギーを感じる感覚が鋭くなり、場所や人の波動を感じ取れるようになる可能性もある。

崩壊は再生の前触れであり古い構造が壊れなければ新しいものは生まれない

これから世の中はさらに揺れるかもしれない。 古い構造が崩れる時、混乱が起きることがある。 しかし、恐れる必要はない。 崩壊は再生の前ぶれである。 古いものが壊れなければ新しいものは生まれてこない。

どんなニュースに触れても霊性の高みから眺める視点を保つ必要がある

どんなニュースを見ても、どんな情報に触れても、霊性の高みから眺める視点を保つ必要がある。 内なる声に耳を傾ける必要がある。 あなたは誰からエネルギーをもらっているか。 それはあなたを自由にしているか。 その答えはあなたの中にある。