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感謝と赦しが[心の浄化]の二本柱|出口王仁三郎

【99%が知らない】出口王仁三郎が明かす「霊感を開く秘法」…あなたの魂に眠る神秘の力が覚醒する瞬間

心の静寂に到達し直感を生むまでの流れ

この流れは、[感謝→赦し→心の透明化→静寂→直感]という一方向のプロセスで構成される。

1. 心の状態を自覚する

  • 日常の中で雑念や不安、怒り、欲望などが自分の心に満ちていることを認識する。

2. 雑念を排除する準備に入る

  • 感謝や赦しの意識を選び、心を肯定的に満たすことで負の感情を弱める。

3. 感謝の行動を繰り返す

  • 日々、呼吸・食事・家族など「当たり前」と思っていたものに感謝を向け、心の水を澄ませる。

4. 赦しを実践する

  • 他者への恨みや被害者意識を手放し、自分自身の魂を解放することで、心の重荷を除く。

5. 心の透明化が進む

  • 感謝と赦しの蓄積により、心の川に清い水が流れ、濁りが取り除かれる。

6. 静寂が訪れる瞬間を迎える

  • 静かに座り、何も考えず、神からの導きを待つことで、完全な静けさが心を包む。

7. 静寂から直感が生じる

  • 心が澄み切ると、神や霊界からの純粋な信号が直感として浮かび上がり、迷いや不安に代わって確信が生まれる。

【詳細】:感謝と赦しが[心の浄化]の二本柱|出口王仁三郎

【99%が知らない】出口王仁三郎が明かす「霊感を開く秘法」…あなたの魂に眠る神秘の力が覚醒する瞬間

霊感の閉鎖が人間を盲目にし現代社会を混乱させている

現代の人間は霊感を閉ざし、神界の声を失い、目に見えるものだけを信じる存在となった。 金銭や名誉などの物質的欲望が心を支配し、霊の世界を忘却している。 世界は物質界と霊界の二層で構成され、物質界の現象は霊界で決定されてから現れる。 病気、事故、出会い、別れはすべて霊界の働きによって起こる。 この構造の理解が欠落すれば、人間は盲目の旅人のように迷い、転倒を繰り返す存在となる。

神界との交信能力として霊感が定義され人の進路を決定する

霊感は神界とつながる交信能力であり、神の声や霊界の動きを感じ取る力である。 人間は神の子として霊感を授かっており、物質文明の影響によってその能力を泥に埋めてしまった。 神の導きを受けるためには、心の汚れを洗い流す必要がある。

霊感は神の愛を受信する器であり心の浄化が受信条件となる

霊感は神の愛を受け取る器であり、その器が清ければ清いほど神の導きが届く。 心が清まると神の声が明確に響き、進むべき道や避けるべき決断が直感として現れる。 霊感が高まると、人は夢や瞑想を通じて神界の光景を視ることができ、人の心を理解する能力が開かれる。

霊感の目的は神との共働であり自己利益を追求するものではない

霊感の目的は神と共に歩み、この世に神の国を築くことである。 霊感は奉仕のために授けられ、欲望や金銭のために使えば邪霊に支配される。 真の霊感は人を謙虚にし、言葉と行いを清め、世に光をもたらす。

感謝と赦しが心の雑音を消し霊感の扉を開く

心の静寂は神の声を受け取る条件である。 心は常に雑念に満ちており、過去や未来への思考が神の声を遮断する。 感謝は心を澄ませる行為であり、祈りの中で神への感謝を捧げることで、心の川に清らかな水が流れ、濁りが消える。 呼吸、食事、縁など日常の当たり前が神の恵みであることを感知すれば、心は透明になる。

赦しが魂を解放し神の光を受け取る状態を作り出す

恨みは魂を鎖で縛り、神の光を遮る。 人を許す行為は他者のためではなく自己のためである。 赦しによって魂は軽くなり、神の愛に包まれる。 感謝と赦しの継続により、心の静寂が訪れ、霊感の扉が自然に開かれる。

静寂が直感の源を形成し神の声として明確化する

心の静けさは神の導きを聴取する条件である。 神の囁きは静寂の中に届き、人は自らの小ささと神の無限の愛を悟る。 この時、霊感は開かれ、内なる平安が訪れる。

直感は神からの信号として機能し具体的な行動を導く

直感は神が与える警告や導きであり、理由のない確信として感じ取られる。 人は頭で考えすぎて直感を無視するが、直感は心の底から湧く純粋な感覚である。 過去の体験は直感を信じなかった結果が後悔につながることを示している。 神は合理的説明を与えず、確信のみを授ける。

騒がしい思考が直感を遮断し心の静寂が受信を可能にする

人間が直感を受け取れないのは心の雑音が多いからである。 表層の思考を沈めることで、内側の清流が現れ、天の声を受け取れる。 信じる勇気がなければ直感は力を失う。 神は人を誤らせることはなく、直感を通して最善への道を示す。

小さな直感への従順が大いなる導きへの信頼を形成する

日常の小さな判断で直感に従うことが訓練となる。 服を選ぶ、道を決める、食事を選ぶ――そのすべてが神との対話である。 この積み重ねが直感の確信を生み、大きな決断を託す信頼となる。 結婚、仕事、居住など重要な選択は神の導きに委ねられる。

霊感の発達が邪悪な霊的存在を引き寄せ防御が必要となる

霊感が開かれると光の増加と同時に闇も濃くなり、邪悪な霊的存在が近づく。 無防備な状態で霊界に接すると憑依の危険が生じる。 純粋な動機で霊感を求めても、隙のある心に邪が侵入する。 欲望、恐れ、傲慢が侵入口である。

真の神の光が謙虚さを生み邪霊の傲慢誘導を打ち消す

邪悪な影響は[自分だけ特別][選ばれた存在]という思考を誘発する。 神の光は人を謙虚にし、自分の小ささと神の偉大さを悟らせる。 傲慢は闇の罠であり、謙虚さは神の防壁となる。 霊感の防御は心の純化によってのみ成立する。

邪霊の影響が霊感の質を歪め行動と判断を支配する

邪悪な霊的存在は霊感を利用して人を傲慢にし、自分の特別さを誇らせることで行動と判断を支配する。 この状態では受け取る導きが神からではなく邪から発せられるものとなり、霊感の質が歪められる。 こうした影響を受けると、判断は自己利益や支配欲に偏り、正しい奉仕の方向を失う。

正しい霊的防御が心の純粋性を保持し神との交信を守る

霊的防御は心の純粋性を保持する行為であり、汚れや欲望を排除することで成立する。 防御の第一条件は謙虚さを保つことであり、自らの小ささを自覚することが必要である。 この心の状態によって、神からの純粋な声が雑音や邪の干渉を受けることなく届く。

霊感を守るために日常の選択が常に奉仕と謙虚さに基づく

霊感を持続的に保つためには、日常生活の行動基準を奉仕と謙虚さに置く必要がある。 人との関わり、仕事の選択、発する言葉のすべてが神の栄光と人類の幸福に奉仕する形でなければならない。 これによって心の防御壁が強化される。

神の導きと邪の干渉を区別する基準が霊感の純度を決定する

神の導きは愛と奉仕心を伴い、人の心を清く高める性質を持つ。 邪の干渉は恐怖、欲望、支配欲を伴い、心を曇らせる性質を持つ。 この二者の性質を判断基準として用いることによって、受け取る霊感の純度が保たれる。

継続的な心の浄化が霊感を高め邪の影響を払拭する

霊感の維持と向上は継続的な心の浄化によって実現する。 感謝と赦しを日々実践し、直感の声を信じ、奉仕の行動を続けることで霊感は清く保たれ、邪の影響は払拭される。 この道は常に進行中であり、心の状態が霊感の質を決定する。

邪霊の誘惑が霊感を利用して人間を堕落させる

邪悪な霊的存在は[そなたこそ救世主である][そなたの力で世界を変えよ]と甘言を用いて人を惑わし、霊感を支配する。 この声に従えば破滅が訪れる。 実際に、邪霊に支配された男は当初、癒しの力を持っていたが、次第に金銭を求め始めた。 自身の力を神の商売と称し、人々から多額の金を巻き上げ、最終的に精神を闇に沈めて悲惨な結末を迎えた。 この行為が邪霊に魂を売った者の末路である。

心の汚れが邪気の侵入口となり堕落を引き起こす

邪霊は人の心の隙を狙う。 怒り、嫉妬、欲望、恐れ、慢心などの感情が存在する限り、邪気は侵入し続ける。 ゆえに心は常に清浄を保ち、謙虚さと感謝、そして愛を持続させねばならない。 これが霊的防御の根本である。

愛なき声が偽りであることを見抜く判断が必要である

霊感で受け取る言葉は直ちに信じてはならない。 神の声は必ず愛に満ち、人を傷つけず、争いを生じさせない。 [あの人は敵である][復讐せよ][自分だけが正しい]といった分裂を呼ぶ言葉は偽りである。 もしそのような声を感じた場合、即座に退け、[邪なるものよ、私は神の子である。 汝には惑わす力はない]と明言し、霊的境界を再確立せねばならない。

自慢と慢心が邪の糧となり霊感を堕落させる

霊的力を人に誇示することは危険である。 [神が私に語りかける][未来が見える]と口にすることは慢心の表れであり、邪の好む餌となる。 慢心が生じれば邪気が即座に寄り付き、霊感は堕落する。 霊感は密やかに育むべきものであり、静謐の中で神との対話を深める行為こそ正道である。

祈りと継続が神との結びつきを維持し防御を強化する

精神界との結びつきを常に保つため、日々の祈りを欠かしてはならない。 [神よ、私を正しき道に導き給え。 邪悪なるものから守り給え。 真の神の声のみをお聞かせ下さい]と心から祈ることで、心の中に霊的防御の光が形成される。 疑わしい霊的体験があれば、信頼できる霊的に成熟した者へ相談し、独断による判断は避けねばならない。 孤立は危険を招く。

神の光が邪霊より強く正しい祈りは破邪の力を持つ

もし邪霊の影響を受けたと感じたとしても恐れてはならない。 神の力はあらゆる邪霊を凌ぐ。 心を清めて神に助けを求めるなら必ず救済が訪れる。 邪悪な存在は神の前では塵のように弱く、真摯な悔悟と祈りによって闇は必ず払拭される。 霊感の修行は光と影が交錯する険しい道であるが、正しい知識と信仰があれば最後まで歩むことができる。

神界からの啓示受信が霊感の最終段階を形成する

神界からの啓示を受け取ることが霊感の真の目的である。 啓示を確実に受け取る者は五つの実践法を遂行しなければならない。

朝の祈りが神界との交信を最も強くする

神界との更新は朝の静寂に最も高まる。 夜が明ける前、世界が眠りについている時、人の心は最も澄んでいる。 この時間に祈りを捧げる。 [神よ、私を導き給え。 あなたの御心を知らせ給え。 私の心を清め、あなたの声を聞かせ給え]と魂の底から祈るとき、初めて神の応答が届く。 形式だけの祈りは無意味であり、誠の願いが必要である。

夢日記が神からの啓示を具体化する媒体となる

人は睡眠中に霊界へ移行し、神のメッセージを受け取る。 夢の中は最も静寂な領域であり、啓示はその中に現れる。 目覚めた直後に内容を記録することで、後に夢が持つ意味が明らかになる。 神の伝言は象徴として夢に隠されており、継続的な記録がその符号を読み解く鍵となる。

静寂の時間が神の響きを聴く場を形成する

一日に少なくとも一度は完全な静寂を作る必要がある。 誰とも話さず、何も考えず、神の前に座る。 その時間は神と人を繋ぐ唯一の聖域である。 最初は短くてもよく、やがて心が慣れれば一時間でも続けられるようになる。 神はこの静寂の中で語りかける。 焦ることなく、神の時を信頼して待つ姿勢こそ霊的成熟の証明である。

自然の中の瞑想が神との接続を強化する

神の創造物である自然界において、神との距離は最も近くなる。 人里離れた静かな場所を選び、風の音、川の流れ、鳥の鳴き声に耳を傾ける。 自然の音は神の言葉であり、都会の喧噪では聞こえぬ啓示が、自然の中では明確に響く。 自然との調和が霊感を純化させる。

神の声に基づく行動が霊感修行の最終段階である

神の声を聞くだけでは不完全であり、それに従って行動することが求められる。 [この人を訪れよ]という感覚が来たなら即座に実行し、[この道を避けよ]との警告があれば従う。 行動の結果を確認することで、神の導きが現実に作用することを理解できる。 こうした経験の積み重ねが信頼を強化し、重大な決断をも神に委ねられるようになる。

啓示の実践が神の光を世に広げ霊感者を完成させる

啓示を受ける目的は個人の利益ではなく、神の光を人々に届けることである。 受け取った啓示を他者の幸福と導きのために用いることで、真の霊感者として完成する。 神の器は奉仕によってのみ形成される。

霊感修行の試練が人を強化し世の闇を照らす

霊感の道は容易ではない。 霊感が開かれると、不可視の領域が視え、聞こえぬものが聞こえるようになり、他人の闇や世の真実が流れ込む。 この重責に苦しむことがあっても、崩れてはならない。 これからの世界は大混乱を迎える時代であり、真偽が入り混じり、聖者の判断が困難な時代となる。 だからこそ真の霊感を持つ存在が不可欠である。

神の光を受け取る者が迷える魂を導く

霊感を持つ者は神の光を受け、それを他者へと伝える。 闇に迷う魂を光明へ導く者が時代を支える。 小さな変化から始まり、やがて人は人生の重大な選択において迷いを失い、自らの使命を見出す。 霊感は自己のためではなく、万人の救済のために存在する。

真の霊感者が出現することで弥勒の世が実現する

真の霊感者の出現により、人々は助け合い、敬い合う弥勒の世が到来する。 争いも偽りもなく、すべての人が神の子として生きる世界は幻想ではなく、霊感を開いた者たちが増えることで現実となる。

行動と信仰が神界の扉を開き新しい世界を実現させる

真の霊感者は毎朝祈り、心を沈め、神の声に耳を傾け、直感を信じて行動し、人々に愛を注ぐ。 これらの行為の積み重ねが霊感を開き、神界の扉を現実に開かせる。 神の導きは常に共にあり、その光は多くの人を救う。

矢作直樹さんの統合

矢作直樹流、感情の浄化法。個性豊かな雑穀甘酒を食べ比べ!矢作直樹×大谷ゆみこ【ヤマトナデシコチャンネル】

食の問題に対する心の持ち方が重要であると論者は認識する

論者は、体に害のある食べ物の問題よりも、食で迷うこと、食べ物に不安感を抱くこと、恐れること、あるいは「食べてはいけないものを食べた」といった罪悪感などの心の状態が大きな影響を与えていると感じている。このような研究結果が次々と出ているため、制限の食生活ではうまくいかないということに気がつき、満たされながら食の転換ができないといけないと論者は考えている。論者にとって、最も大事なのは心持ちであるため、今回は心持ちについて矢作先生に話してもらうことを望んでいる。

健康を構成する要素の中で心の持ち方が最も影響が大きいという認識がある

論者は、健康について語る際、4つの要素があると考えており、その中で心の持ち方が最も影響が大きいと認識している。この4つの要素は、心の状態が1番目、食べ物(飲食)が2番目、体の動かし方が3番目、休み方が4番目という順序になっている。論者は、不安や恐れ、執着心、完璧さを求めすぎる心、我慢や制限、自己否定、罪悪感、不信感、無責任が、人々の心を苦しめている有害なものであると見なしている。これらは、不安・恐れ(1)、執着(2)、完璧(3)、我慢・制限(4)、罪悪感・自己否定(5)、不信感(6)、無責任(7)の7つに分類される。

- 【1】心の状態
- 【2】食べ物(飲食)
- 【3】体の動かし方
- 【4】休み方
- 〈1〉不安・恐れ
- 〈2〉執着心
- 〈3〉完璧さを求めすぎる心
- 〈4〉我慢・制限
- 〈5〉自己否定
- 〈6〉罪悪感
- 〈7〉不信感、
- 〈8〉無責任〔他責志向〕
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湧き起こる感情をコントロールするのではなく向き合い浄化する方法が存在する

矢作先生は、人が様々な感情をなかなかコントロールできないと感じており、むしろ起きてくる感情にどう向き合うかという方法で対応していると述べる。怒りや執着など、人間が快適に感じない嫌な感情が湧いた際、まずその感覚を視覚化(イメージ)し、その感情を外に出す。次に、そのイメージを粉々にして、それを天に返すという方法をとる。天はそれをきれいにして戻してくれると信頼しており、返ってくるのは「ありがたい」という感覚なので、「ありがとうございました」と受け取って自分の中に返す。一言で言えば、「嫌だったものが素晴らしいものになって戻ってくる」というこのプロセスを、矢作先生は感情の浄化と表現し、感情がしょっちゅう湧くため千本ノックのように瞬時に繰り返し行っている。この繰り返しにより、感情が浄化され晴れていき、やがて感情があまり起きにくくなるという効果が現れる。

怒りや不快感の原因である美意識と批判心の関係を矢作先生は経験する

矢作先生は、人間であるため、どうしても審美眼があり、美しくないものや調和していないものが目の前にあれば不快に感じるという。ただし、それをジャッジするのではなく、どう受け止めたらいいかが問題となる。矢作先生自身、かつては審美眼があればあるほど批判心が強くなってしまい、「あれも嫌だこれも嫌だ」と言っていたが、それによって何も解決しないと悟り、今の方法に転換した経緯がある。この方法は悩みの解消法ではなく、不快な感情が出た時に、それを美しい解消法によって浄化するものである。

高きで作られたトリフは砂糖・ミルク・カカオ豆不使用でもチョコレートの味覚を持つ

論者が用意したトリフを矢作先生が試食したところ、「ラム酒が入っているような美味しさ」「チョコみたい」「チョコレートですね」という感想を述べる。このトリフにはカカオ豆も砂糖もミルクも入っていないにもかかわらず、チョコレートのように感じられる。その中身は、黒糖のリキュールがほんの少し入っている他は、まるまる****甘酒である。これは高きをお粥に炊くことで作られ、豆乳やライスミルクを混ぜて少し緩めたクリームも、試食では「チョコです」と認識される。

チョコレートの代替品である雑穀甘酒の驚くべき可能性が示される

多くの人がやめられない食べ物のナンバーワンである甘いもの(チョコレート)は、通常カカオ豆とミルクと砂糖の塊で構成される。しかし、甘酒にすれば、砂糖中毒から人々を救う贈り物として蘇る可能性があり、高きで作った甘酒でチョコレートのようなトフが作れる事実に、論者は驚きを感じている。さらに、甘酒の入ったビスケットも試作されており、これは矢作先生のニーズに合うお菓子になるのではないかと期待されている。

穀物にはそれぞれ個性があり多彩な食の楽しみを提供する可能性を持つ

論者は、穀物と塩と水だけで良いと言われた当初、デザイナーとして多彩さを楽しみたいという思いから寂しさを感じた。しかし、お米にこんなに仲間がいることを知ると、「楽しいかも」と感じて雑穀との付き合いを始めた。穀物はご飯の仲間でニュートラルなエネルギーを持つ一方で、それぞれ個性的である。人間は多様なことを楽しみたいという欲求があり、雑穀はそれを叶える多彩さを持っている。

高きはご飯の仲間でありながら長期間にわたり肉の代替品として認識されていた

論者は、高きを最初にハンバーグに使ってしまったという頭の固さを自覚しており、高きはご飯の仲間であるからお粥に炊けば甘酒ができるのは当たり前なのに、冷えやキビや粟では甘酒を作っていたが、高きで甘酒を作ることを思いついたのはかなり後であったと述べる。ご飯の仲間であるにもかかわらず、茶色いという理由だけで挽肉だと思ってしまったため、甘いものに使おうという発想がなかったのである。この経験から、意識の転換が重要だと論者は考える。

高きは肉料理とチョコレートの二大問題の両方に対応できる可能性を持つ

論者は、高きを甘酒にしてみることを思いつき、それが本当にできた結果、冷えのクリームを使うことでシュークリームの皮も作れるようになり、二大課題が解決したと述べる。雑穀はハンバーグもチョコも作ることができ、日本をダメにした二大問題とされる肉とチョコ(砂糖を含む)の両方に対応できる高きの能力を論者は高く評価する。かつて、高きが牛の餌として世界中で作られ、人間が食べるものだと知らない状況があったことから、論者は「牛は装飾、これは人間のだよ」と教えれば世界を変えられるというキャンペーンをやりたいと考えていた。

雑穀の種類と加工方法の違いにより味覚が変化する現象が確認される

矢作先生は、高きの粒とマッシュしたものを試食し、味が大きく異なることに驚きを示す。マッシュした高きの甘酒はチョコレートに酷似しているが、粒の状態ではあんこのようである。これは、形やサイズが違うだけでも味が変わり、細かければ細かいほど****陽性になるという料理の世界の面白さを示している。冷えの甘酒は、粒では白餡のような味、クリーム状ではホワイトチョコレートとは異なるクリーミーな味となる。もちきびはお菓子のような風味があり、粟(アワ)は女性エネルギー・生命エネルギーの象徴であり、試食では白餡のようなベースの味と、西洋のお菓子のクリームの一種のような味が感じられる。北の冷え、西の粟のように、穀物の種類が違うことによっても味が変わり、粒は和の餡に、ペーストは洋のチョコレートに似るという極端な変化が鍋一つで起こることに、矢作先生は驚きを感じている。

甘酒は甘味料としてだけでなくスプレッドなど多様な用途に利用できる

甘酒は穀物のデンプンが麹菌の働きでブドウ糖に分解されたものであり、酵素も増えているためご飯より栄養があるものができている。この甘酒は、甘味料として使えるだけでなく、凍らせるとアイスキャンディのようになり、パンに塗る****スプレッドとしても利用できるなど、多様な用途を持つ。このような甘酒は、安い炊飯器で簡単に作れ、冷凍すれば永遠に持つため、豊かな気持ちで生きられ、手間もかからないという料理の世界の側面を論者は強調している。

穀物で作るスイーツは砂糖中毒からの脱却と人生の楽しさの発見に貢献する

論者は、甘酒の作り方や、和菓子から洋菓子までスイーツをひたすら作り、40品を食べる未来食セミナー新2というミラクルスイーツのセミナーを実施している。人間はふんだんにもてなすと我慢がいらなくなるため、「食べたいだけ食べていい」という環境を整え、家をお菓子の家にすれば砂糖断ちができると教えている。このような可能性のある料理を学ぶことで、楽しみが増え、「今日は思い切ってチョコ作ってやろうかな」という気持ちが生まれる。このトリフ作りは男性にも人気があり、家族を喜ばせるケースも多いという。論者は、料理を通じて宇宙がシンプルで優しくできており、面白いものだと知ったことで、それ以外のことも面白がれるようになったと語る。矢作先生も、このような料理を通じて地球の増加の妙を知ることができるようになったと認識する。

感情の浄化法と料理への取り組みが人生に新たな視点をもたらす

矢作先生は、論者が提供したバナナシェイクを試飲し、バナナの風味が感じられると述べる。このシェイクは、甘酒と果物をシェイクし水を足すことで、果物の害があんまり出ないようになり、バナナ1本ではなくほんの少しのバナナで幸せになれる効果がある。論者は、可能性のある料理を習ったことが人生に楽しみを増やしたと語り、矢作先生の千本ノックのような感情の浄化法を聞き、安心と希望を感じ、自らも新たにやってみようという意向を示す。