日本に仇なす国が滅びる法則
日本に仇なす国が滅びる法則
■【日本に待ち受ける未来とは!?】『第48回 神野正史の世界史ワンポイント講座』
プロンプトを正確に理解した。
●日本を取り巻く厳しい現状と歴史を学ぶ重要性
現在の日本を取り巻く国際環境は非常に厳しい。
ロシアによる北方領土の不法占拠や、北朝鮮による弾道ミサイルの発射は日本への圧力である。
韓国は竹島を不法占拠し、中国は尖閣諸島への圧力を高める。
米国もトランプの登場以来、日本に対して不条理な発言を繰り返す。
国内ではあらゆる業界組織に売国奴が蔓延する。
現状を分析するだけでは未来は予測できない。
数千年の歴史から法則性を見出し、現状の本質を見極めることが歴史を学ぶ意味である。
過去の国難を学ぶことで、日本が置かれた現状の本質と近未来の状況が見えてくる。
国難
国際環境
北方領土
弾道ミサイル
竹島
尖閣諸島
歴史の法則性
●白村江の戦いにおける大敗と国家制度の刷新
西暦6世紀末に中国で隋が誕生したころ、朝鮮半島南部では百済と新羅が争い、北部では高句麗が勢力を張る。
隋は高句麗遠征に失敗して滅び、唐に代わる。
唐の第3代高宗は新羅と結んで百済を滅ぼす。
日本は百済の残党からの要請で支援を決める。
663年の白村江の戦いで、倭と百済の連合軍は唐と新羅の連合軍に大敗する。
天智天皇は本土決戦の危機感を抱き、博多湾を見渡せる位置に大宰府を設置する。
水城や大野城、基肄城を築いて鉄壁の防衛体制を構築し、烽火による通信組織を整備する。
白村江の戦い
唐
新羅
百済
大宰府
水城
天智天皇
●日本攻勢型パターンによる中央集権化の実現
防衛拠点を守る兵を動員するため、軍団制という軍事改革が行われる。
国運をかけた戦争の資金を集めるため、唐を模倣した租庸調が導入される。
人民を把握するために戸籍制が導入され、一律の法律として律令制が導入される。
大帝国に対抗するため、古い豪族の寄せ集め国家から中央集権国家へと体制が移行する。
倭という古いシステムは新時代を生き抜く日本という新しい国家制度に生まれ変わる。
手痛い敗北による危機感が大改革を成功させた。
勝利して百済を属国にしていれば、朝鮮半島の戦争に巻き込まれて国は衰亡した可能性が高い。
日本側から海外へ派兵する日本攻勢型は、敗北を契機に国家が再生するパターンをたどる。
軍団制
租庸調
戸籍制
律令制
中央集権化
日本攻勢型
再生
●モンゴル帝国の拡大と北条時宗による使者黙殺
1206年にチンギス汗がモンゴル高原を統一する。
モンゴルは西夏を服属させ、金を滅ぼし、西遼やフワーリズム・シャー朝を破ってロシアまで進出する。
ユーラシア大陸のほとんどを飲み込んだモンゴル帝国は高麗を服属させ、南宋へ侵攻する。
フビライ汗は南宋を攻略しつつ、日本へ目を向ける。
当時の日本の支配者は17歳の鎌倉幕府執権である北条時宗である。
フビライ汗は日本に使者を派遣して服属を要求する。
北条時宗はこの要求を黙殺し、使者を処刑する。
これにより1274年に文永の役が起こる。
モンゴル帝国
チンギス汗
フビライ汗
北条時宗
鎌倉幕府
服属要求
文永の役
●日本守勢型パターンにおける神風と元王朝の滅亡
日本守勢型は、海外からの侵略に対して日本が防衛に回るパターンである。
このパターンでは、奇跡や神助が重なり、日本に災いをなす大国に神罰が下って滅びる。
文永の役では、鎌倉武士の奮闘に加えて暴風雨による大損害がモンゴル軍の撤退を決定づけた。
フビライ汗は南宋を滅ぼした後に15万の兵で再び日本へ侵攻する。
1281年の弘安の役において、モンゴル軍は博多湾に築かれた20kmに及ぶ石築地に直面して上陸に失敗する。
志賀島や鷹島での激戦の最中に激しい台風が吹き荒れ、モンゴル軍は壊滅的な打撃を被る。
2度の敗戦により元の王族や各地で内乱が続発し、第3次遠征は中止される。
フビライ汗の死後、元王朝は80年をもたずに滅亡する。
日本守勢型
神風
弘安の役
石築地
台風
内乱
元王朝滅亡
●日露戦争前夜における極東三国の君主の器量
1868年の開国により日本は明治天皇の時代を迎える。
同時代の清朝は第10代同治帝、李氏朝鮮は第26代高宗が統治する。
国家存亡の機において、暗君が立てば国は滅び、名君が立てば生き残る可能性が生まれる。
同治帝は西太后の圧政下にあり、高宗は閔妃の言いなりとなる暗君である。
日本の明治天皇は名君であり、この君主の器量の差が日本の運命を分ける。
日本は白人列強に対抗するため清・朝鮮との三国合従を目指したが、両国には理解されなかった。
日清戦争で清の無力さが露呈すると、高宗は満洲を不法占拠したロシアに臣従しようとする。
朝鮮はロシアによる虐殺の危険性を自覚していなかった。
明治天皇
同治帝
高宗
暗君
名君
三国合従
ロシア
●日露戦争の勃発と日本軍の渡河作戦における天祐
1904年に日露戦争が勃発する。
日本とロシアの間には10倍から20倍の国力差があり、軍事力でも圧倒的な差が存在した。
外交交渉が決裂し、日本は防衛のための日本守勢型として戦いに臨む。
満洲へ兵力を送る際、ウラジオストク艦隊や旅順艦隊による海上妨害のリスクがあった。
日本軍は仁川から上陸して北上するルートを選択する。
満洲への進入路となる鴨緑江では、ロシア軍が防衛線を敷いて待ち構える。
黒木為楨率いる第1軍は川の上流に軍橋を架けて背後を突く渡河作戦を計画する。
作戦決行日は満月であったが、突如雨雲が広がり闇夜となる。
軍橋を渡りきるまで雨は降らず、さらに濃霧が発生してロシア軍のサーチライトを無効化する。
この天祐により鴨緑江の戦いは日本軍の大勝利に終わる。
日露戦争
国力差
旅順艦隊
鴨緑江の戦い
黒木為楨
渡河作戦
天祐
●黄海海戦における不可解な運動と奇跡の勝利
旅順艦隊の壊滅を目指し、東郷平八郎率いる連合艦隊は黄海海戦に臨む。
海戦中、連合艦隊は3分間の決断の遅れから旅順艦隊に進路を許し、見失いかける。
旅順艦隊の目的は戦うことではなく、ウラジオストクへ入港して日本の兵站を断つことである。
東郷平八郎の命令で全速追撃を試みた結果、ロシア側の巡洋艦のエンジントラブルにより17時30分に追いつく。
日没が迫る絶望的な状況の中、18時30分に放った砲弾が旗艦ツェサレーヴィチの司令室に直撃する。
これによりロシア側の指揮官が全滅する。
さらにツェサレーヴィチの舵が壊れて回頭を始め、後続艦が混乱に陥る。
ロシア側の信号機も破損していたため統制が崩壊し、日本は劇的な勝利を収める。
黄海海戦
東郷平八郎
旅順艦隊
ウラジオストク
ツェサレーヴィチ
司令室直撃
奇跡
●日本海海戦の勝因とロシア帝国の崩壊
ニコライ2世は旅順艦隊の失陥後、2倍の戦艦数を誇るバルチック艦隊を派遣する。
ロジェストベンスキー司令長官はウラジオストクへの入港を目指し、ルート選択に悩む。
東郷平八郎は対馬海峡で待ち伏せを行う。
ロジェストベンスキーは濃霧を利用して対馬海峡の突破を決意する。
日本軍にとっては、快晴では敵に逃げられ、濃霧では見失うため、薄霧の天候が理想であった。
作戦開始時に霧が薄くなり、開戦とともに快晴へ変わる。
天候の劇的な変化という天祐により、日本海海戦で連合艦隊は完全勝利を収める。
ポーツマス条約により日本は多くの利権を獲得する。
敗戦したロシアでは革命が勃発して帝国が滅亡し、ニコライ2世も処刑される。
日本に災いなすものは滅びるという鉄則が証明される。
バルチック艦隊
日本海海戦
対馬海峡
天祐
ポーツマス条約
ロシア革命
帝国崩壊
●太平洋戦争への道とルーズベルトの急死
日本は日露戦争で獲得した満洲の権益に執着する。
米国は門戸開放などを掲げて満洲を狙い、日米関係は悪化する。
世界大恐慌による大不況の中、日本国内では満蒙は日本の生命線であるという世論が高まる。
関東軍は政府の統制を無視して満州事変を起こす。
犬養毅首相は軍部の暴走に反対したが、5.15事件で暗殺される。
その後、盧溝橋事件から日中戦争、太平洋戦争へと突入して日本は敗戦する。
米国大統領フランクリン・ルーズベルトは、日本人を他民族と雑婚させて抹殺する日本分割占領案を計画する。
ソ連のスターリンも北海道や東北の占領を画策する。
しかし、戦争終結直前にルーズベルトが急死し、後任のトルーマンが分割占領案を却下したため、日本は滅亡を免れる。
世界大恐慌
満州事変
犬養毅
太平洋戦争
敗戦
フランクリン・ルーズベルト
分割占領案
●歴史の鉄則から導く日本の光明
歴史上、日本が国難に直面したときには明確な鉄則が存在する。
日本から海外へ兵を出す日本攻勢型では、白村江の戦いや太平洋戦争のように大敗を喫する。
しかし、その手痛い敗北による危機感が国家体制の大改革を促し、新時代への再生を可能にする。
一方で、海外から一方的に攻撃される日本守勢型では、元寇や日露戦争のように奇跡的な天祐が働き、日本に仇なす国が滅びる。
現代において、ロシア、北朝鮮、中国、韓国は一方的に日本へ圧力をかけており、これは日本守勢型の状況である。
現在、これらの国々の指導者や国内の売国奴的組織は衰退の途にある。
歴史の法則を俯瞰するならば、日本の未来には一筋の光明が存在する。
日本攻勢型
日本守勢型
国家体制改革
歴史の法則
天祐
現代の国際情勢
光明
【核心的主張】:現状の分析に終始せず数千年の歴史の法則性を俯瞰することで日本守勢型における神助と仇なす者の滅びという鉄則が見出され日本の明るい未来が証明される。